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ストーリー

対話で考えるキックベース

Aは友人のBと、その2人より年の若いCと散歩をしています。Aは、キックベースのことをよく考えています。Bもそれと同じくらいキックベースのことを考えています。Cはキックベースが好きです。

 

 

A:いい天気だなあ、のどかな休日だ。こんな日はキックベースでもするか、家で洗濯をして洗った洋服を干したくなるね。

 

B:キックベースができたら、最高の休日になるだろうな。青空に向かって、ドカーンと蹴り飛ばして、そのボールが描く軌跡をのんびり見つめてゆっくり1塁まで行きたいもんだ。

 

A:それも気持ちいいだろうけどもね、それより僕はね、ピッチャーからボールが投げられるまでは、どこにどう打つかは何も決めないでおいて、投げられたボールの速さやバウンド、守備やピッチャーの位置をみて、打つか打たないか、打つとして、どのくらいの強さで蹴るのかを決めたいんだ。青空はそれを見つめているだけでいい。

 

B:それは俺がいっているのとほとんど同じことだよ。遅めの朝食と早めの昼食の違いでしかない。俺だってどこに打つかをあらかじめ決めているわけじゃないんだ。バウンドが悪けりゃ打たないし、ボールの速さによって、どう打つかは変えてるさ。大体、青空に向かって蹴りこむったって、届きやしないんだから、見つめてもらっているようなもんだよ。

 

C:ま、まあいろんな楽しみ方があるのがキックベースのいいところじゃないでしょうか…

 

A:キックベースのいいところ、ってどういうことだい。

 

C:どういうことだい、とは…?

 

A:キックベースのいいところって、具体的になにを思っているの?

 

C:ええと、今の文脈でいえばボールを蹴って走るというシンプルさと、状況に応じた判断を忠実に遂行する技術的要求水準の高さが同じフィールドで共存できるところ、でしょうか…

 

B:教科書に書いたような表現だな。でも、確かにその通りだと思う。キックベースは、簡単であるから難しい。実際、日本でだれもが知っているスポーツなのに、未だにプロはいない。フィールドでのプレイというミクロな視点でも、スポーツ自体の普及というマクロな視点でも、同じ話だ。シンプルだから、難しい。

 

A:君はうまいことを言ったと思っているのかもしれないが、じゃあさ、その「いいところ」って、じゃあサッカーとか野球とは違うのかい?

 

C:ええと、サッカーはルール自体はシンプルですが、盤面はよりシームレスである分、選択肢は無限大です。また、打席というような、「あなたの番」がないので、技術の高い人が試合をコントロールすることが多いと思います。技術水準が全体的に低い場合でもルールのシンプルさが寄与してある程度楽しめると思います。野球は誰にでも平等に打席は回って来ますが、最低限のバッティング技術がないと球にバットを当てることすらままなりません。

 

A:サッカーはスポーツが得意でない人同士でも、楽しめるけれど、野球だとそもそも試合にならない。この点打席に立って、ボールに当てて走ることが容易なキックベースは、サッカーに近いのかもしれないね。でも、うまい人がいたら、その人が大活躍するという点は、サッカーもキックベースも同じなのかな。

 

B:サッカーも野球もキックベースもスポーツである以上、うまい奴が目立ちやすく、勝ちやすいのはそうだろう。サッカーとキックベースの違いは、同じチームにスポーツが得意な人とそうでない人がいた時に、それぞれが活躍できる場所がどれだけあるか、の違いだと思うんだ。

 

C:確かに、サッカーならうまい人たちだけでゴールを決めることもできますが、キックベースだとそうはいきませんね。そして、ボールに足を当てるチャンスは誰にでも平等に訪れますし、バントのように簡単に当てて、塁に一生懸命走るだけで、塁に出やすいという点は、全員でゴールを目指すという意味で、よりインクルーシブだと思います。

 

A:いいポイントだと思う。もともとキックベースは「どこでもできる」「だれでもできる」が大事な特徴で、今話したポイントはまさに「だれでも」を隣接スポーツとの比較で分析したものだね。この話はまた今度しよう。でも、もともと僕が2人に聞きたかったのはね。キックベースが普及する過程でその「いいところ」がなくなった場合、我々はキックベースを終えるべきなのか、というキックベースの在り方に関する問題なんだよ。

 

B:ここまでキックベースの普及を考えているお前が、キックベースの消滅条件を考えるとは面白い。話を聞こうじゃないか。